増村のインターネット販売
弊社ホームページに御アクセス頂きまして誠に有難う御座います。
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すぐにご購入したいとお考えのお客様にはご不便をお掛け致しまして申し訳御座いません・・・
(カートでの購入を御希望のお客様は、「人形の増村 楽天市場店」へどうぞ)
店頭にお越しになって頂いたお客様は当然弊社スタッフと言葉を交わし、気になった商品の特徴を詳しく聞き、御相談されてご購入に至ります。是非ここをご覧のお客様も店内でスタッフに声を掛けるように、お問い合わせフォームよりお気軽にお声をお掛け下さい。
皆さまからお声をかけて頂ける事をスタッフ一同心待ちに致しております。
(※ネット掲載商品も店頭にて販売させて頂いております。在庫切れの際はご了承下さいませ)
追記:何を御相談したら良いのかわからないとのご意見頂きましたので、一例をここにご紹介したいと存じます。
1)この商品をケースに入れる事は可能ですか?その際の費用はどの位かかりますか?
2)同じ作家さんの物でもう少しリーズナブルな物はありませんか?
3)付属品は不要なのですが、付属品が無ければどの程度料金が変わりますか?
(毛氈飾りのため、若干のお飾りサイズ調整が可能です)
胴作家 | :平安雛幸 |
頭(かしら)作家 | :京都 川瀬猪山 |
金襴 | :京都 誉田屋勘兵衛謹製手織正絹「菊流水」 |
屏風 | :京都「北村松月堂」謹製12号箔押三曲 |
道具 | :静岡県 木製本金手描き二品 |
花 | :長野県 本繭玉正絹紅白梅 |
雪洞 | :岐阜県 木製コードレス手描絵 |
胴作家
宝歴年間(1751年~1763年)、人形屋幸助が京都川原町姉小路にて人形作りを始める。安政二年、幸助改め、初代雛幸が京都にて雛人形造り始め、大正三年には東京大正博覧会にて二世雛幸「三代将軍御庭遊人形」が宮内省より御買上賜る。
昭和四十五年、三世雛幸が有職雛人形の技術継承の功績を認められ黄綬褒章を受章。
平成元年、四世雛幸が伝統工芸士認定。
五世としては、平成十一年、先代であり父である四世雛幸に師事。京都四条の工房内で研鑽を積み、平成二十八年経済産業省認定伝統工芸品「京人形」伝統工芸士認定。現在に至るまで、有職人形司として数多くの創作雛人形を手掛け、京の雅を今日に受け継いでいる。
頭作家:四代目 川瀬猪山
京頭師 川瀬 猪山
長年の京の伝統が息づく、最高の職人による雛人形のお顔。それは、見る角度によって人間の全ての感情(喜怒哀楽)が表現され、自分が悲しい時には一緒に悲しみの表情を見せてくれ、嬉しい時には喜びの表情を見せてくれると言います。 その製作は、型抜きに始まり、乾燥、眼入れ、地塗り、なか塗 り、めきり、さらえ、研磨、上塗り、描毛と気の遠くなる程の手 間を要する。特に、眉や口紅の描画には熟練の技術と経験、並々ぬ集中力を必要とする。そして、最高の京頭師の話をするならば、確実に名前が挙がるであろう職人が存在する。川瀬猪山その人である。
初代、二代目、三代目を経て、現 北川氏也 師で四代目。昭和40年、二代目が京都府産業功労者を受賞。さらに日本万国博の享保雛頭の製作を手がけ、昭和53年、「現代の名工」として京人形匠初の労 働大臣表彰受章。三代目としては、平成3年、京都府伝統優秀技術者受賞など、節句人形界多大な影響 を与えた技術と功績はあまりにも偉大。現四代目は、昭和60年に義母である三代目猪山に師事し、平 成21年、四代目を襲名。経済産業大臣指定産業「京人形」伝統工芸士。
猪山師の手による頭の柔らかで、そして穏やかな気品漂う表情は、控えめでありながら見る者を魅了 し、同じ京頭師達も頷くほどの高度な手仕事と感性によって生まれる。また、面相道具へのこだわり も日本一であると言っても過言ではなく、その種類の多さ、所有数からは、面相描画の繊細さと難しさを窺い知る事が出来る。 代々世に認められる川瀬猪山師の頭は、今も昔も京頭の象徴として尊ばれています。「頭には魅力がないとあかん。なんぼベッピンでも魅力の無い人がいるやろ。美人でなくても魅力の ある人がおるし・・・いつまでも見飽きひんような、内からにじみ出てくる何かがないとなぁ。娘も のはほんのりしたお色気と、お雛はんはその上に気品がないとあかん。じっと見ていると心が休まるような顔ができたらええのやけど・・・」
二代目 川瀬猪山
裂地
京都 誉勘商店謹製
宝暦年間(1751~63) 創業、初代誉田屋勘兵衛が本家より 暖簾わけを許され独立。本家は誉田屋庄兵衛といい、三井、越後屋と並ぶほどの商家であった。商いを始めるにあたり、本家の 商売敵にならぬように、同じ布地の中でも法衣や装束、舞台衣装、人に用いる金襴裂地を扱うようになる。以来、正絹の西陣織で作られる金欄の製作・卸商として脈々と商いを続けてきた。初代が没したのが、1761年という記録が過去帳に残る。その創業は260年以上、江戸宝暦年間前と伝わり、現在の当主 松井幸生で13代目を数える。 現在の場所で創業当時から商をし、蛤御門の変で奥の蔵を残し、虫籠窓(むしこまど)のある京町家家屋を消失、現在の建物は明治9年に建てたもの。
屏風作家
北村松月堂謹製
屏風は節句人形をより華やかに彩るのに欠かせないものです。
我が国における屏風の歴史は古く、7世紀にまで遡ります。その製法は、木製の枠に金紙や絹織物を張り付けたものをつなぎ合わせ、折りたためるようにしたものでした。節句業界では一般的にこれを本仕立屏風と呼びます。
そして、伝統の地京都において唯一人形屏風で経済産業大臣指定伝統工芸士認定を受けた職人が北村松月堂四代目当主である北村法久です。 北村松月堂の創業は明治四年。実に約150年にも及ぶその歴史、培われた技術は北村松月堂謹製の屏風の随所に垣間見る事が出来ます。
手足師
澤野正
お雛様の手足は京人形手足師「澤野正」作の手足を使用しております。京都の澤野家は頭師で著名な川瀬猪山の流れを汲む作家一族で、 古くは人形頭も製作していたが現在は桐の手足を専業としている。澤野正は実父である澤野公一に師事したが、早くに逝去した為、100年前と同じ製法を堅持しつつ、ほぼ独学で現在の製品を完成させた。現在京都では、人形手足師は澤野正しかおらず、その技術は大変貴重なものとなっている。
手は一本一本、胡粉を重ね製作
美しい手になるまでの工程
石帯(せきたい)
京製京都清水焼付き本革石帯
ビニールにプラスチックの石がついた海外製の石帯(せきたい) が多く出回っている中で、本革を用い、石部分に清水焼を用いた京製の石帯を使用。 値段だけは高額な雛人形といっても、石帯のような細かい部品、小道具は、先に挙げたビニールやプラスチックを用いて作られたの雛人形も市場には多く出回っている。
国産本繭玉正絹紅白梅
本繭玉正絹紅白梅
長野県産本繭玉使用
総木製手描き絵雪洞
岐阜製総木製手描絵コードレス
本金手描き蒔絵道具
静岡県総木製本金手描き駿河蒔絵